陸前高田へ、友人Y君に会いに行ってきました。
Y君とは7年ほど前に、団四郎の仕込みに研修生としてやってきてからの付き合い。私が農大へ通っていた頃も、研究室が一時一緒だった。
3.11の津波で、蔵は流され、お父さんとお婆さんも津波に襲われた。その後、連絡は取り合ってはいたけど、どのように過ごしているか、ずっと気がかりだった。研究室が一緒だったT先輩は茨城でヤマイチ味噌を経営されているのだけど、震災後、即座に行動し、Y君に物資を届けたりしていた。がれきの中から見つかったペットボトルの醤油を引き取り、醤油アイスに様変わりさせて、売り上げは義援金として、Y君へ渡してもいた。どれだけY君の気持ちを支え、力強かったことだろうと思う。
今回は、T先輩が家族を連れて、再び陸前高田へ訪れるということで、私も一緒に行かせてもらった。
聞けば200年近くも醸造業を営む歴史ある味噌蔵で「和泉屋本店」という。地元に密着し、伝統的な糀蓋製法で糀を作っていた。
蔵は5棟にわたって連なっていた。陸前高田では祭りなども盛んで、地域づくりが盛んな街だったという。
↓蔵のあった跡地。津波によってすべてさらわれてしまった。Y君は私の質問にも臆することなく、落ち着いて丁寧に答えてくれた。今の陸前高田の風景と、復興した時の陸前高田の風景を見比べてほしいとも言っていた。
現在の陸前高田は、がれきが集められ、さらにそれを仕分けして、うず高く積み上げられていた。
今後、建物などは全て壊して平地にし、5メートルの土を盛って、都市計画を進めるらしい。また、都市計画のモデルとしても注目されているという。
地形は変わり、300メートルも海が押し寄せてきてしまったらしい。
以前の陸前高田の風景を教えてもらったり、写真を見せてもらったりした。美しい浜辺が広がり、松林は地域の人が憩う散歩コースだった。震災前の陸前高田を見て見たかったと思う。
陸前高田から一関へ戻り、その日は居酒屋で食べ、飲んだ。味噌の話、糀の話、5年間それぞれの蔵での経験から、話すことは尽きなかった。再建を望むことは今のY君にとって酷なことのようにも思う。けれど、楽しそうに味噌や、糀の話をするY君をみると、また再び糀にさわる日が来てほしいと思う。新潟にいて、私になにができるのかと思っていたけど、こうやって顔を合わせて話せて、良かったなと思う。結局私にできることは、団四郎でしっかりと働き、力をつけて、いつかもしY君が再建を志した時に少しでも力になれるようになっておくことなのだと思った。
仮住まいされている住まいの前に掲げられている妹さんがつくった看板。つらい思いをしてもなお、陸前高田に再び住みたいという。郷土愛の深さに頭がさがる。陸前高田の誇り高きお味噌屋さん。また、顔を見に、少しずつ復興していく陸前高田を見に、訪ねさせてください。
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